Collection: ジャン=ミシェル・バスキア

ジャン・ミシェル・バスキア(1960-1988)は、1980年代のニューヨーク・アート・シーンを代表するハイチ系アメリカ人アーティストです。ブルックリンで生まれ、ハイチ系の父とプエルトリコ系の母の間に生まれました。

幼少期から芸術的才能を示し、芸術的な活動を奨励していた母親の影響でブルックリン美術館やニューヨーク近代美術館を頻繁に訪れていました。17歳で高校を中退し家出し、友人宅を転々としながら、ハイスクールの友人と「SAMO」という名前で地下鉄やストリートにグラフィティアートを制作していました。この時期の作品は既存の社会システムへの挑戦的なメッセージを込めたものでした。

1980年頃から本格的に絵画制作を開始。アンディ・ウォーホルとの出会いをきっかけに、ニューヨークのアート界で注目を集めるようになります。当時は白人主導だったアート界にバスキアの作品は、新風を巻き起こし、黒人であることのアイデンティティが大きく反映されたものでした。王冠やスカル、テキストなどのシンボルを頻繁に描き、人種差別、支配的な権威、社会的な不正義への鋭い洞察を表現しました。

代表作には「無題」「ハリウッド・アフリカン」「黒人警察官の皮肉」などがあります。短い生涯の中でバスキアは、1000点以上の絵画と3000点のドローイングを制作しました。

1988年に薬物の過剰摂取により27歳という若さで死去。死後、世界各地で大規模な回顧展が開かれ、黒人ならではのテーマが再評価されることとなり、今日では20世紀を代表するアーティストとして、国際的に認知されるに至りました。黒人系アーティストとして、美術史における人種や階級の問題を提起し続けた先駆的存在です。